告知 院長講演 「山伏の医術」(令和4年9月21日夜19時半より)|泉州統合クリニック|高石市 漢方内科・婦人科・心療内科・精神科・内科・専門外来(ヨガ・食養生・鍼灸・アーユルヴェーダ)

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告知 院長講演 「山伏の医術」(令和4年9月21日夜19時半より)

2022年09月15日

【開催日時】

令和4年9月21日夜19時半より

下記講演をオンラインにて実施します。私の山伏経験について体験を通したお話ができたらと思っています。医療者向けの講演ですが、希望の方は自由に聴講出来ます。

 

山伏の医術

漢方医としての臨床経験から、砂糖の有害性や糖質制限ケトン食の効果に触れていた私は、山伏は特殊な食事や鍛錬法によって生み出された自然免疫力の賦活がその験力の源泉となっているのではないか?と密かに感じていた。奥駈修行を始めた当初、少なからず験力がいかなるものか、経験したいという気持ちがあった事は事実である。確かに苦しみながら山を歩き、歩くことによって身体が鍛えられることは重要である。しかし、実際に山伏となって大峯を歩いているうちに、特殊な食事や鍛錬法はその核心ではなく、「自己と向き合って、己の弱さを直視し、自らそれを受け入れること」つまり「恕」の心を「体感する」ことにあるのだと遅ればせながら気がついた。「恕」を体感するとは、言葉を変えると、「すべてを制御する王になるのを目指すことではなく、制御できない無力さを知り、それを受け入れた瞬間に「死と復活」を経験することとも言え、これは紛れもなくイエスが語っていたことと同一なのである。山伏の医術は、弱さの受容に始まる「身心変容」を土台に身体の体験を通して自己と繋がり、行動変容していく過程で生み出される身体的医術なのだと今、私は考えている。さまざまな生薬の知識や技法は身体的体験があってこそ真価を発揮するのである。

今、不具合を訴えて心療内科を訪れる患者の多くは、頭が忙しく、体は頭に従属する存在として、身体と心体が別に存在するような生活をしている。そして、体を整えることなしに心だけを「治そう」ないしは、体は体、心は心と分けて「治そう」とするが、残念ながら身心の表裏一体性を無視して「治す」事はできない。そもそも一方的に自分にとっての不都合を「治す」と言う考え方も、頭が考えた事である。表だけのコインはコインとして使えず、この逆も同じ。コインは表裏あってのもの、身心もそれに同じである。

今回は、山伏経験を通してイエス行者説に至った経緯を語りつつ、実臨床においてそれをどう生かし、最終的には知識や技術といかに融和させて智慧にしていくかについてお話しさせていただきたいと考えている。

Zoomミーティング:
https://us02web.zoom.us/j/81883887178?pwd=Wk10QWEvY3dKSkhxeDU2eIRWaEh4QT09
ミーティングID: 818 8388 7178
パスコード:702217

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