院長ブログ
Vol.65 伝統医学の価値はどこにある?
2024年04月01日
生きている人間は意志を持っている
「漢方薬って、当たるとよく効くんだよね。」これは、漢方薬に触れた医師が最初に口にする言葉です。残念ながら、医師の多くはそこまで止まりで、もう少し関心を持った人でもファーストチョイス、セカンドチョイスと当たる確率で優先順位をつけて処方して、これがダメならこっちとトライするのが関の山です。それは何故か?「生きている人間は意志を持っている」という視座を無視しているからです。
「医師は病気をみてひとをみない」と言われるのも、この「生きている人間は意志を持っている」と言う視座がないからな訳で、当然と言えば当然です。そもそも、人間たる意志を排除して考える事で医学は体系化されてきたのですから。
視座を獲得する
こんな記事がニュースに出ました。
内容を要約すると「地球物理学者は地球という固定状態としての物質の研究をしていて、量子論的な動的視座を持っていなかった。動的視座から地球を眺めたら、ごく当たり前の現象として赤道付近や対流が説明がつくよ。」という話です。内容はともかくとして大事な点は「別の視座から地球物理学を眺めたら説明が付かないことも案外アッサリ説明出来てしまうのだよ。」という事ですね。
体調不良の背景にはその人の考え方の癖とそれに伴う行動の癖(意志の部分)、その人が体から受け取れる情報の質(体と心の繫がりに関する感覚、感性)があり、これを無視しては慢性的な不調に対処することは不可能です。たまたま、西洋医学は、外傷に対する外科技術と感染症に対する公衆衛生及び薬物治療が牽引して引っ張ってきましたから、基本的にはこの「意志」と「体―心の感覚」が不在する場面を前提としています。つまり、急性期という特殊部分を中心に発達した理論なのですから、人間そのもののありようが関係する長引く不調に対して一般化するにはちょっと無理が生じる訳です。本来、人間の意識の部分を取り扱うはずの精神科ですら、脳の機能という意志とは別の方向で問題解決を図ろうとしてるわけですから、うまくいかないのは当たり前と言えるでしょう。
伝統医学の価値はどこにある?
伝統医学は元来、背景に「真理、ものの道理とはなんぞや」「ひととはどういう存在なのか?」「なぜ生きるのか」「幸せとは?」といったその思想性があります。この思想性があってこそ、別の視座によって生身の人間と向き合う事ができる訳です。漢方医学に漢方薬はありますが、これはあくまでも道具です。薬でなんでも良くなるわけではありません。「どのような場面で、どのように薬を使うか」、この「どのように」の部分に伝統医学の真髄があります。道具も使いようと言いますが、まさに薬をツールのひとつとして考え、そのひとひとりひとりの背景となる人生の歩みに光を当て、「いままで、どうだったのか?」「どうして今まで諦めていたのか?」そして「これからどうしていきたいのか?」治療の進行と同時に、こう言ったことも一緒に考えて行きましょう。そうすると漢方薬も最大の効果を発揮してくれます。