院長ブログ
Vol.36 見えない「在る」を感じること(エッセイ)
2023年01月05日
見えない「在る」
「身体」は「感情」の影響を受け、「感情」は「身体」からの情報によって影響を受ける。ホッとすると身体は緩むし、身体が痛いと怒りや不安が沸き起こる。大事なのは、あとに目に見える形で残されるのは「身体」の部分だけということだ。身体の変化のきっかけを作った感情は、用事が済むと跡形も無く消えてしまう。医療が「病気を診て人を観ない」と言われるようになって久しいが、残された「身体」部分だけを繋ぎ合わせ、消えてしまった「感情」を無視するからそのような事になるわけだ。しかしながら本来、身体には消えてしまった感情の痕跡を辿る能力があり、それは普段から身体に意識を向けることで培われる。心を込めて歩き、心を込めて食物をいただき、自らの体を触って己の体に有り難うという。心を込めて歩くと、その道を辿った人々の姿が見え、心を込めて食べるとその食物の来由が感じられる。自らの体を触れば、体に無理をかけていたなと言う事に気がつく。これらは皆、見えない「在る」を感じることなのである。
見えない「在る」の数理学
素粒子物理学の世界は、見えない「在る」を物理の世界から解き明かそうとしていて、実際に「何もない空間から、常時素粒子が出現して、現界に影響を与えては消えて行く」ことを繰り返していることが確認されているそうだ。なにも無い空間が私達の生きている世界を変え、また、私達の生きている世界が、なにも無い空間の向こう側に影響を与えている。この関係性を表現し、見えない向こう側を理解する数理学を創ったのが光吉俊二さんだ。東大の道徳感情数理工学という教室でお仕事をされている。彼の理論では見えない「在る」を反界と言い、それは「無」の向こう側の世界のことを意味する。「無」にどうして向こう側があるの?と思う人も多いかと思うが、このことを認め、受け入れると様々なことの辻褄があうようになってくるのだから仕方がない。ゼロは無限と同じで善と悪の関係も反転すれば本質は同じ。パッと聞くとなんじゃそれ?と思うだろうが、東洋思想の世界では千年以上前からそう言っているし、真言密教の奥義もまた、ゼロの中に無限を観ることなのだそうで、1000年かけて思考も一巡りしているかのようだ。
ゼロの向こう側
見えない「在る」を感じてみよう。ゼロの向こう側の扉は、あなたの体の中に隠れている。体に意識を向け、体の声に耳をすませ、湧き上がる感情の根元を掘ってみよう。