院長ブログ
Vol.44 金持ち青年のその後(エッセイ:拘りから自由になること)
2023年03月20日
最近、気になることがある。聖書マタイの福音書19章16節にこんな下りがあるのだが、
金持ちの青年(マタイの福音書19章 16-25)
16さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 17イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 18男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 19父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」 20そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」 21イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 22青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。23イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 24重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 25弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。
悲しい目
気のなるのは、青年のその後である。22節からの「青年は、この言葉を聞き、悲しみながら立ち去った」とあるのだが、この「悲しい目」を最近よく見かけるからだ。一通りの診察を終え、その人の生活全般、思考の癖、行動の癖を聞いた後に、それぞれの人の不具合がどのようなプロセスでなぜ今現れ、どういう意味を持っているかを共有した後に、「養生のキホン」を説明するのであるが、今、本人が置かれている生活環境(生活環境野中には、家が果物屋さんで果物が常にあるとか、長年住んでいる家に湿気が多いとか、職務内容による夜勤、残業が多いなども含まれる)、仕事(仕事の中には地位や立場も含まれる)、人間関係(人間関係の中にはその人が果たしている役割も含まれる)、そのものが不具合に繋がっていることが多くあり、その慣れ親しんだ環境と決別して変わる必要があるケースがままある。「本人がどんなに良い物を摂取しようと、どんなに良い習慣をしたとしても、今の執着を捨てなければ、良くならない」という事実を告げると、悲しい目をするのだ。「わかっているけれど、無理。」そういう目を私に投げかけてこられる。そう、その気持ちは重々わかる。できるなら、今の環境を崩さず、今の立場、今の習慣はそのままに、ちょっと工夫したら、ちょっとの薬でなんとならないかな、と淡い期待を持ちながら訴えかけるまなざしが、私の胸に深く刺さる。しかし、、こればかりはどうにもならない。「それでは、だれが救われるのだろうか」弟子達がそうぼやきたくなる気持ちもわかる。
臨界点を超えて、手放す
しかし、現実に来られる患者さんの多くは、すでに自分自身の不具合と長い間共にあって、もう、限界なんだという臨界点に達している人も多い。そういう方は、「やっぱり、そうですよね。薄々、そう思っていましたが、今日、はっきり言われれて決心がつきました。」と宣言される。長年住み慣れた、習慣という環境から自分を解放して、一歩踏み出した瞬間だ。この臨界点を超えた患者さんの一人が最近私に語ったことがある。「義母のお世話をしっかりしなければならないと、電話がかかる度に施設に飛んで行っていたけれど、そのことが自分を犠牲にし、自分を傷つけている事に気がついて、断るようにしたのだと。今日は仕事で忙しいから、ちょっと行けないのよ。などと説明をして断っている。そうしたところ、今まで何で早く来てくれないのよと、毎回怒られていたのが、忙しそうだけれど、大丈夫?体に気をつけるのよ、と声をかけてくれるようになったのだと。お義母さんのために自分が頑張らないといけないと言うのは、義母ではなく、むしろ自分の拘りだったんだと。今では、すごく楽になって、お義母さんとの関係も良くなりました、と。そうそう、それから、最近、友達が減ってしまったんですとも言う。友達と話が合わなくなってしまって。でも、それで寂しいとかはなくて、楽なんです。友達を無くすと不安だっていうのもまた、拘りだったんですね。と。絶対手放すことができないと思っていた拘り、手放すと自由になる。この魂の自由こそが、聖書に言う「永遠の命」なのではないだろうか。
青年のその後
イエスの元を去った青年は、その後、どうしたのだろうか。1年後、2年後、10年後の彼がどうなったのか知りたいものだ。彼にとって、自分自身、本心と繋がり、しがらみ、執着から自分自身を解放したとき、彼の心は永遠に解き放たれることだろう。しがらみから解放されて自由になった青年が、実はイエスの遺志を継いで活動した、なんて史実が残っていないかどうか、ちょっと調べてみようと思う。