院長ブログ
Vol.23 ヒモトレの謎(エッセイ)
2022年06月12日
ヒモトレの謎に迫る
昨日、大和葛城山に登ったのだが、奧駈修行(私、中田院長は毎年7月に大峰奥駈修行に出ます。)の準備であると同時にひとつのテーマを持って登拝していた。それは、「ヒモトレ」の謎を解くこと。
大峰奥駈修行
山伏
ヒモトレとは
「ヒモトレ」とは、帯紐のように紐を腰に巻いたり、割烹着の肩を紐で縛ったりするように、足であったり、腰であったり、指であったりを縛って体に制限を加える事で、痛みが取れたり、可動域が広がったりするという「小関 勲」さんが提唱しているものだ。そこで、紐を腰に巻いて歩いたところ、確かに歩幅が拡がり、姿勢がよくなる。リュックの胸紐が切れてしまっていてそのままにしていたのだが、そこにタオルで代用したところ、安定して腕の振りも変わった。なかなか良いではないか、と思って山を登っていると、ふと、なんだ、そう言う事だったのか!!
山伏装束の意味
山伏装束(鈴掛)の腰紐をキュッと締め(私はこれがいつも緩んでいた!)さらに、貝の緒で上から締める。背負っているリュックの胸紐をキチンと引き締め(これものびのびになっていました)、袴の裾は反転して膝上で紐をしっかり結び(これがほどけて、ニッカボッカになってた、、)、脚絆の紐は膝下でキュッと締める(しょっちゅうほどけてました。)、装束ってヒモが大事だったんだ!!と、今更ながら気がつき、大先達に毎回、「中田さんは、なんか、いつも胸はだけとるなあ、どうやって着たらそうなるんやろう」とあきれ顔で言われたことの重大さに、今、やっと気がつくという、、。
つまり、装束の紐をしっかり所定の場所で締めることが、足腰のバランスを調整して姿勢を制御し、怪我から身を守ってくれていたのだと。鈴掛は実は、最強の防御衣だったんだと。はあ、、なんと私は、装束を着ていたのに、役に立ってなかっのだ。。
この装束が鈴掛
帯の意味も同じ
そう考えると着物の帯もそうだったし、和服ってそもそもそう言うものだったんだ。日本のヒモ文化って、その理屈を知らなくても正しく着付けることで本人の姿勢を正し、心を安定させてくれるものだったんだと、認識を新たにした次第。和服を着よう、そう思いました。
ちなみに、昨日は、大和葛城山から二上山の麓を巻いて当麻寺までの20キロ余りをあるいたけれども、膝、腰、全く問題無く降りて来られました。膝と腰は守られましたが、スタミナはヒモでは補われないこともわかりました(笑)